望まなかった終の棲家

☆Ⅿ様 85歳男性 胆管癌・十二指腸狭窄(ステント術後)・高血圧症・心不全・貧血。BSC(積極的治療を希望しない)方針で退院。妻と二人暮らし、KP長女は既婚別居。要介護4。訪問診療、訪問看護、利用。退院時、福祉ベッドや手すり設置で在宅療養開始。病気が判明して余命3年の告知。自宅に帰りたいとの意向で退院。

一流企業で海外赴任も長く、毎日徹夜で働いた。心不全で倒れるほど働いたと仰るエリート。病気をしてから頭がもやもやして先生が何を言っているか理解できなくなったとKP長女が、受診時は必ず同席し医師の言った内容を文章にして説明。老後のためにと賃貸経営もしており、入院時、確定申告の時期で、去年までは自分で出来ていたが、今年は長女に任せた、情けなくなったと話す。

退院時入浴したいと入浴実施。湯船に垢で真っ白になったのを喜んでいた。食事はすべて妻の手作りで、妻の介護力に委ねられた。「病気するまではパパが何でも見やってくれる頼もしい存在だった。何とか自立しなければ」と熱心に介護をし、夫であるご本人は三か月で自転車を乗るまで回復。大好きな麻雀をするため、お弁当を持ってふれあいに通い始めた。

炎天下に脱水症になったり、働きすぎて腰痛になったり、癌が完治したのではないかというくらいに血液検査,CTの検査結果だ良好で続いた。妻は体調を壊し入院。妻の見舞いに行き介護していた。

半年後突然嘔吐し緊急入院。主治医が驚くほどの回復をみせたが、再発し、入退院を繰り返すようになった。ホスピスを登録した。本音は気が楽だから一日でも長く自宅に居たいとのご意向。献身的に、夫からナースエイドさんと呼ばれるほど介護看護を習得し退院したが体調が戻らず再入院。

妻が倒れないか、レスパイトさせるべきか考えたが、妻は拒否。食事が摂れなくなり、弱ってきても、余命3年を過ぎたからもうそろそろお迎えが来るよ。自宅に帰ろうと言う妻に、元気にならないと足手まといになるから、リハビリして元気になって退院する。元気になれなかったらここ(病院)にいるよ。もう家には帰れないかもしれないと弱音なのか悟りなのか良く話すようになっていた。

お見舞いをいつも待っており、寂しがり屋だからといつも病室には誰かがいた。亡くなる前日は、妻に「もう帰るの?もう少しいて」とせがみ、一緒にベッドに添い寝をし、また明日来るからと帰宅した妻に、朝方、危篤の電話。最期に手をきつく握り返して息を引き取ったのだそう。末期癌と告知で積極的治療をせず、死を覚悟したのでしょうが、いつも周りに気を使いながら、弱音は妻に甘えることだけだった。

どんなにか自宅に帰りたい帰したかったでしょうが、病院で看取るしかなかったと後悔はないと仰る。在宅でも病院でも素敵な方々に囲まれ、素敵なご夫妻、素敵な家族で、愛情という環境が何度も奇跡を起して、人生を生き抜いたM様ご家族に出会い、大きなプレゼントを戴きました。一人になった妻の喪失感は大きく、泣いてばかりで立ち直りに時間を要しそうです(橋井)