エンドオブライフケア・自分らしく生きる

A様91歳、女性。要介護5、娘夫妻と同居。 現病歴:上行結腸癌(多発肝転移)、既往歴:陳旧性腰椎骨折、子宮筋腫(リンパ郭清)

自宅でADL自立されご家族と生活されいたが、今年5月腰椎圧迫骨折しその後徐々に体調悪く、7月半ば嘔吐継続、かかりつけより訪問依頼あり。
寝たきり状態、腹部圧痛あり、QQ搬送し上行結癌末期(多発肝転移)と診断、一旦状態落ち着きご自宅での看取り希望で自宅退院となる。
自宅では中心静脈栄養管理となり、毎日訪問し点滴管理や清潔ケアを娘様と一緒にさせてもらった。
A様は「早く死にたい、いつ迎えがくるの」と死ぬまでの時間を待つことの辛さ、全身に痛みがでるようにもなり、生きる灯は小さくなっていった。

毎日サービス介入で訪問すれば何とか笑顔を見せてくれていたA様、口を開けば「早く逝かせて」の一言だったが、家族との別れが寂しく感じると漏らすこともあった。
娘様の献身的な介護で穏やかに過ぎていた時間も、訪問介入1ヶ月で深夜帯に状態が急変し、そのままご家族に優しく静かに看取られ永眠となる。


B様82歳、男性。要介護5、娘夫婦と二世帯住宅での生活。現況歴:パーキンソン病(ホーエン・ヤールⅤ度、生活機能障害度Ⅲ度)、既往歴:急性前立腺炎、頸動脈プラーク、鼠経ヘルニア

2007年にパーキンソン病発症、内服自己調整し転倒するなど病識・自己管理難しい方であった。体動困難となり誤嚥性肺炎で入院。退院後からの介入となる。
週3回、内服の管理・清潔ケア・リハビリなど介入し、入院前のように自身で動けるようになったことで、生活に意欲的になり一部介助でシャワー浴、トイレも一人でできるようになった。
自分できることが増え、自宅内車椅子生活にし、趣味だった料理を妻と一緒に作るなど前向きであった。

しかし、嚥下機能はかなり低下しており口にするものすべてむせ込む状態にあった。胃瘻造設は希望せず、そのため発熱し誤嚥性肺炎を再発。
救急搬送はせず本人と家族が自宅療養を選択希望した。在宅酸素導入、点滴・吸引のため連日訪問し、看護師がいるときに車椅子に離床させ、本人の食べたい物を食べてもらい、ご家族と共にいつもと変わらない時間を過ごした。
肺炎になり1週間、解熱するも全身状態と呼吸状態が悪化していき、妻と二人の娘夫婦と可愛い孫に囲まれ、孫を抱きしめるなど皆がそろった時間を過ごした。
そして最後は妻とB様二人きりで妻がB様に話かけながら、穏やかにそのまま看取られ永眠となる。 介入して3ヶ月後の看取りとなった。

 

A様、B様共に高齢になってから新たな疾患発症となり、介入して間もなくの看取りとなった。ネットワーク訪問ナースステーションのスタッフとなりやっと1年が過ぎました。
在宅を勉強したく田舎から上京しましたが、人生の形も人生最後の姿も、田舎・都会関係なくその方それぞれのドラマがありました。
病院勤務経験しかない私は、日々激務で常に急性期の生死を選択しなければならない環境にいたので、患者の退院後の日常生活を考えるゆとりはありませんでした。
在宅では何が正解か、看護師の自己満足になっていないか、本人・ご家族の意思をちゃんと尊重し実現できたか、毎回これで良かったのかと振り返りです。

「ネットワークさんの皆さんで良かった」「ありがとう」と利用者様・ご家族様からかけてもらう一言は、逆に心の励みとなり、貴重な時間に寄り添いお手伝いさせてもらえることに感謝しかありません。
これからも生涯勉強、ご本人・ご家族様に納得・満足いくサービス提供に努めたいと思います。