エンドオブライフケア・自分らしく生きる2

T様80代後半男性 要支援2 肝細胞癌術後、狭心症、肝硬変。認知症なし。
キーパーソンは別居姪(妻の妹の娘。重度過敏性大腸炎)。独居。近隣クリニック受診し、血液検査の結果が悪く、病院に紹介し手術。術後は経過よく、近隣クリニックでフォロー。入院病院に定期で検査通院。

突然クリニックに電話があり、「立てなくなって来週の病院通院出来そうにない」との事で、急遽、往診すると黄疸、腹水、下肢浮腫で状態が悪く、救急車で受診勧めるが拒否。
ドクターから急遽訪問看護の依頼があり、地域包括支援センターにクリニックから連絡して貰う。

訪問すると「半年前に妻を癌で、三か月前、妻の妹も癌で看取った。病院に入院して、病院で亡くなったが、自分は病院で亡くなるのは嫌だ。もう何もして欲しくないので自宅に居たい。痛くて怠くて布団から起き上がるのに大変だ。何とかならないか」との事で、
急遽福祉用具にベッド搬入依頼し、休養できるようにした。

部屋の中は物が無く、衣類も殆どなかった。「自分でもう駄目だと思ったから、毎日片づけ、ごみを出した。延命は望まず、自宅で亡くなることはできるだろうか?」と言う。
下痢が酷く、トイレに間に合わないと自分で何時間もかかって始末していた。何時間も倒れていたこともあった。ヘルパー増回勧めても買い物だけして欲しい、あとは大丈夫と言う。

できる限り訪問し、傾聴した。「若い頃にバーテンダーをしてお店も経営していた。喧嘩早く、失敗ばかし、愛した女がいてその人を思い出す。もう終わったのに、やっぱり思い出すんだ。兄妹もお酒飲みで皆肝癌で亡くなった。最期に俺が残って、俺の番。」
訪問診療時は病院受診を断ったが、腹水だけ抜いて帰ってくればいいと諭され、帰ったら手料理御馳走すると約束した。

「先生にマグロの漬け丼ご馳走するけど、今日食べるか?」と苦悶し息切れしながら台所に立って作ってくれた。
一緒に食事して、昔話で良く笑った。翌日のためにシャワー浴もした。看護師が退室時は「寂しいな」と弱音も吐いた。
腹水抜くために受診するが、独居で帰宅は無理と入院。前日が最後の晩餐となった。

病院に面会に行くと拒否した点滴に繋がれ「帰りたいがこれ以上迷惑をかけられない。これで良かったんだよ。ありがとう」と手を握ってくれた。その4日後永眠。
受診、入院は医療者として当然の事ではあったが、本人が望まない入院と治療は本人のご意向を実現できない結果でした。「安心」の意味を深く重く感じています。