エンドオブライフケア・自分らしく生きる

Z様 男性 83歳 要介護2 高血圧症・慢性腎不全・貧血・脊柱管狭窄症、蜂窩織炎、難聴。認知症なし。未婚で独居。親族とは疎遠。後見人(補助人)利用。

電車やカメラ、ビデオ、ゲーム、ガチャポン、パソコンなどが趣味で、博学で心は少年。人に指図されることを極端に嫌う。電車で秋葉原や新宿ヨドバシカメラ、ドン・キホーテに行くのが楽しみと一人で出かける事が運動。

難聴で受診の際通院同行して医療的指示を医師から伺い、ご本人に説明して欲しいというのがご要望で訪問開始。円背が進み、ベッドに仰臥位で寝られないとリクライニングの椅子で就寝。仙骨部に褥瘡ができ、処置始める。

お風呂がない不衛生な環境の自宅で、下肢の浮腫蜂窩織炎発症。入院するも自宅で療養したい、自宅に帰りたいと退院。何度も再炎し病院に通院。経済的にも通院の限界で、この時ACP(人生会議)を兼ねたサ担会を開催し、自宅で最期を迎えると決め、訪問診療導入。皮膚の痒みは薬を投与しても回復せず、手の施しようがないが、看護師はご本人のご意向を尊重し献身的にケアを行った。また,訪問医も親身になってご本人の気持ちに寄り添い、ご本人は訪問医を大変信頼していた。

ヘルパーさん導入や福祉ベッド導入等環境整備の提案をケアマネはしたが、真っ向から拒否。体力が減退し息切れしても電車に乗りドン・キホーテに行き、喫煙し、飲酒して、おもちゃ箱ひっくり返したような部屋で、転倒して起き上がれなくなっていた。「治療はこれで充分、最期までやりたいようにやらせてくれ。充分に人生楽しみ充分に生きたよ。悔いはありません、」と仰った。食事、水も摂れず点滴連日行い、「お酒が飲めなくなった、いよいよだよ。」と言うので、今から救急車呼びますか・と尋ねると、「呼ばなくていい。ここで静かに休みたい。毎日ありがとう。今日は帰っていいよ。疲れた、少し眠りたい」と看護師を帰した。

翌朝訪問すると、椅子から転落。その後医師が心肺停止を確認した。最後まで沢山の方から理解を受け、穏やかな最期を送り旅立たれた。自分の生活を貫いた方でした。「エンドオブライフケア」とは疼痛や症状のアセスメント、意思表明支援、治療の選択、家族ケア、人生のQOL,人間尊重とあり、チームワークが必須です。安心して生活が継続でき、納得して人生を生きる事に寄り添える訪問看護の仕事を誇りにしています。