身寄りの無い利用者の急変

Q様70代前半男性 要介護3 気腫合併肺線維症 酸素療法中 認知症はなし 羸痩著明。
親族と疎遠でキーパーソンはなし。自分名義一軒家独居。DNR。性格寡黙。訪問診療、訪問看護、訪問介護サービス利用中。

殆ど自立できている。10か月前にCOPD治療中であったが道で意識消失し、救急搬送され入院したが、自己都合で退院。その後道で意識消失し別の病院に緊急搬送。
肺炎で酸素化非常に悪く、加療入院。HOT導入することで自宅退院となったが、介護保険でのサービスや人の介入を非常に拒み、
「ほっといてくれ、自分はどうなってもいいんだ、面倒くさいんだ。死ぬのなら自宅に帰りたい、財産は国に献上したい」と悲嘆的な発言もあった。
自宅に帰すには環境を整えないと帰せないと主治医が説明し、8か月前漸く介入できた。訪問し他愛のない会話で短時間の訪問とした。

3か月も訪問すると、プライベートな話をしてくれたり、相談してくれたりと、看護師のリハビリを開始し、自転車で買い物に出かけられるようになっていた。
宝くじを買って当たったら家を建て替えして、お世話になった人をもてなしてと、生きる希望や夢を語り出した。
亡くなった時のことを考えると後見人制度の利用を勧めパンフレットを渡したが、見ることもなく「今生きてる時に(生きようとしているのに)死んだ時の事は縁起悪い」と言い、禁句になっていた。

何れは、近いうちに話しておかなければ、まさかの時が来ると大変と思っていた矢先に、自宅庭の伸びた樹木の手入れを一人で行い、体調不良、急変し3日後には肺炎で亡くなってしまった。
ご遺体の引き取り人、死亡届の届出人(届出義務者)も解らず、死亡診断書はあるが火葬も出来ないまま、区に依頼して親族を探して戴き、約4週間後に荼毘に付された。
何が何でも自宅で、DNRの意思も堅かったが、それを実現させるには、法律や制度に無知だったことや思いやりと勘違いして、伝えるべきこと伝えず、備えていなかった事を後悔と供に、学びの機会とさせて戴いた。
チーム内では急変はあっても生命には影響しないだろうと甘い考えもあった。
何時まさかが起こることをいつも念頭に置き、最善をなすために、多職種連携内でも準備が必要だったことを学んだ。
息を引き取る前日、「優しい人たちに大変お世話になり、本当に幸せだな。ありがとうね」と仰った。
「Q様らしくない、こちらこそありがとうございます。」と笑った事を思い出す。

今回もACPの進め方、タイミングの難しさ、受け止め方、どう支援していくか、傾聴し見守り看取り、その後のことを整えることの大切さと難しさを痛感、勉強になりました。(橋井)